まいぺーす・たばし・らいふ

絵描きの思いつきダラダラ趣味ブログ

愛されている作品を再び見つけた喜び

そのシリーズ作品は本当に「愛されてる」って感じがした。

驚きと、感動と、少しの羨望と。

私も作品を作る人間だから、ものすごく刺激を受けた。

 

 

思いかけず再び見つけた投稿者さん

2、3年前くらいまで追っていた動画投稿者さんがいた。

ニコニコ動画に、スマホゲーム刀剣乱舞のゆっくり偽実況のシリーズものだった。

投稿者さんの本丸の刀剣男士の軽快な笑える掛け合いや、偽実況とはいえ本当にキャラがゲームをしているかのような気がしてくるほのぼのした雰囲気が好きなシリーズだ。

視聴者の流れるコメントも、そのシリーズを楽しむ一つの要素になっていた。

結構な投稿数があって、全部見るにも1週間はかかると思う。

 

とはいえ自分がとうらぶのデータ引継ぎができず、それをきっかけにとうらぶ関連の作品漁りから離れた。

リアルの生活の変化も理由にある。

 

本当になんとなくだった。

ニコ動で久しぶりに検索したワード「刀剣乱舞 偽実況」(人気順ソート)

 

お昼になんとなく検索したら引っかかった動画。

その動画自体は初見だったが、サムネイルの覚えのある絵柄と特徴的なタイトルを見てピンときた。

あの投稿者さんの新シリーズだった。

投稿日時を見るとつい最近だった。

まだシリーズが続いていたことにとても驚いた。

……6、7年は続いていないか?

 

 

改めて1番始めのシリーズの1話目を見て

最新作の動画はもちろん新シリーズの途中のお話なので、後で見ることにした。

というより、その投稿者さんの過去のシリーズからもう一度通して観たくなったのだ。

 

その一番初めの動画を見た。

もちろん見たことがあるので展開は知っている。

けれど、流れるコメントの様子が少し変わっているように感じた。

「また見たくなる」「定期的に戻ってくる」

こういうコメントが増えている気がした。

たしかに私も追っかけていたときは、たまに始めから見返していた。

他にも内容的には同じでもコメント数や言い回しが違うコメントが見られた。

年月が経っている実感と、何回もこの動画を見ている人がたくさんいるという実感。

 

自分の中の何かが震えた。

「愛されているシリーズ作品」なんだなって、改めて実感した。

 

シリーズものを投稿し続けることのすごさ

私は絵を描くが、長く続くシリーズもののような作品を作ったことがない。

自分は1枚の絵にかけれても1週間程度が限界だ。

だから長期間かけて続くシリーズものを作れるクリエーターさんを尊敬する。

しかも二次創作、同人で何年もかけて続くシリーズを作るモチベは、どこから来るんだろう。

原作への熱意だろうか

ファンからの声援だろうか。

理由はどうであれ、一定のクオリティをずっと続けて作り続けることはすごい。

 

そして愛される作品になった。

 

私もそんな作品を作ってみたい。

 

 

こんなに創作意欲が沸いたのは久しぶり

私はフリーのイラストレーターをし始めてだんだん、絵を描くことは義務になっていった。

熱は冷めてはいないが、アチアチメラメラではないのだ。

そして今の気持ちを何かの形にとりあえず残したい、と思った。

だから今回の記事のテーマにした。

手持ちのご依頼のイラストがひと段落したら、「私の描きたいもの」を思うがまま描いてみようと思う。

 

 

この記事がこのブログの2つ目か。

3日坊主にはまだなっていない。

ここまで読んでくれて、ありがとう。

また明日も書けたらいいね。では。

また三日坊主かもしれないけど、アウトプットする力が欲しいが為に記事を書く

また3日坊主かもしれない。

でもやはり、アウトプットする機会が欲しいと思ってこのブログを始めた。

はたして続くだろうか?

 

 

 

なぜアウトプットする時間が欲しいのか?

答えは、それを生かした自分の考えをアウトプットする力を強くしたい

他にも文章力を鍛えたい、絵以外の資産やスキルを少しでも育てたい、あわよくば。

という具合で、アウトプットし続けたら、何かしら得るものがあるんじゃないかと考えている。

スマホという神アイテムがある現代、アニメや小説、知識のインプットが非常に多い。

それらの刺激を、時間のかかるイラストや漫画以外で表現できる武器があれば最高だと思った。

 

 

 

なぜアウトプットする力を強くしたいのか?

年齢を重ねるごとに、「熱」のある作品を作れなくなってしまったから。

 

創作に対する大きな特異点は2回あったと思う。

 

一つ目は、病気だった。

病気というものはすごく恐ろしい。

そして治療するための薬も末恐ろしい。

病気は生きる価値観や考え方までもグニャグニャ殴り倒してきたからだ。

自分は19歳(大学2年生)の時に、うつ状態になってそれ以降創作の力が弱くなったと感じる。

(後に双極性障害と診断される)

それまでは、人の生きれる時間では頭の中のアイデアをすべて作品にすることができないと思っていた。

何もできず、何も考えられない、まったくエネルギーがない時期があった。

その頃に無理やり作った作品は、なんというか、回復してきた今じゃもう作れないものだった。

病気は前向きに良い経験だったと思うように今はしているが、病気はしないことに越したことはない。みんなは元気に過ごすのだぞ。

 

次に年齢、27歳を過ぎたころからだ。

年齢というものは、確実に脳にも影響する

思考の仕方が年齢とともに……上手く説明できる言葉を持ち合わせていないのが歯がゆいが……とにかく、変わってしまったのを感じる。

欲や直感にストレートな考え方や表現ができなくなった。

年齢を重ねるごとに、世間の目や「普通」にこだわってしまって、自分の創作の鋭さというか狂気度が低くなっている。

若いころの絵は未熟ではあったけど、現在の自分にはない熱を感じる。

 

あの頃の熱を取り戻したい、取り戻せなくとも若いころとは違う別の熱でもいいから、なにか勢いのある熱を再び手に入れたいと思っている。

 

 

 

突然このブログでアウトプットをすることにしたのは、なぜか?

実は突然ではない。

ここ1年で何回かブログを続けようとして、挫折した。

挫折の、その延長である。

さて今回のブログはいつまで続くやら。

 

正直言って面倒くさかった。

ブログのテーマを決めて、それに沿って毎日投稿する。

キーボードをだだだだだだだだだだと叩くことは好きだ。

文章を考えて打つことはあまり得意ではない。

タッチタイピングの手が止まることがストレスでならない。

だから今回作ったこのブログは、テーマは決めずに雑記にすることにした。

ダラダラと考えつくままに書く。

Youtubeの懐かしボカロリストをシャッフル再生しながら、ただ気の向くままに。

 

 

 

とりあえず、このブログの誕生秘話(この時点で秘話じゃない)をおおざっぱに書けたのでまず満足です。

 

 

 

おまけ

関係ないけれど、語尾を「ですます丁寧語調」にするか「なのだ調」にするか迷った。

結局タイピング数が少ない「だ調」になった。

今後も記事の内容によって変えるかもしれない。

まぁ思いつくままにダラダラ書くブログなので、文章の上手さや正確さは気にしない方針で行こうと思う。

 

ここまで読んでくれた方、本当にありがとう。

明日も記事で会えるといいね。